身の丈発言から教育改革を考える

 10月24日、BSフジの番組で、萩生田文科相は英語民間試験の利用で不公平感について問われたところ、次のように発言しました。

「それを言ったら『あいつ予備校通っていてずるいよな』というのと同じ」

「裕福な家庭の子が回数受けてウォーミングアップできるみたいなことがもしかしたらあるのかもしれない」

「自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえれば」

 

 まあ、政治家なんて教育に対する識見もなく、情熱もないものだし、おまけに現場のこともまったく分かっていないというのが相場なのでさもありなんというところです。野党のみなさんも言葉尻を捉えるのではなく、問題意識を持っていたのならもっと前に反論をすべきだったと思います。教育だけでなく、いろいろな分野で社会を混乱におとしめているのは政治家、取り巻きの御用学者、そして経済界を引退した有識者でしょう。

 それにしても、今回の教育改革(改悪?)はひどい。少子化で困っている民間の教育産業を下支えするかのような施策がたくさんあります。大学入学共通テストでは記述テストが入るそうですが、採点はベネッセがやるようですし、この「身の丈に合わせて」受検する英語の民間試験は地方では同じくベネッセのGTECか英検しか実質的には受けられないでしょう。「思考力を図るには選択式はダメだ」「英語は4技能を伸ばさなければダメだ」そういう方向性に正面切って反対する人はいない。しかし、実際に運用するとなると話は別だ。

 世の中は理想だけで動くほど単純ではない。様々な制約の中で妥協をしながら最適解を導いていかなければいけない。本来、政治家というのはそういった現実に即した妥協案を提示することが仕事のハズだが、そんな人物はいないのかも知れない。

 もう一つ、気になっているWordが「協働」だ。なにやらグローバルで活躍するにはいろいろな人と協働していく力が必要らしい。この理念に関しては、少し疑問符がつく。スティージョブズは協力的な人間だったのか?イチローにチームワークがあったのか?ホリエモンは?孫正義は?恐らくそういった人々は我が道を行くタイプではなかったのだろうか?みんなで協力して何かを作っていく、そういった人もいるだろうが、残念ながら世界をうならせる人のほとんどはそういった人ではないような気がする。

 まあ、どちらにしても決まったことで、変更はしないでしょう。動き始めたことは決してやめないのが政治の常だから。もう、とっくに学校を卒業してしまった身としては子ども達が不憫で仕方がありません。