インターステラ ほぼネタバレ

   非常に評価が高かった映画ですが、なかなか見ることが出来なかった。今回、時間が少しできたので、ようやく見ることが出来た。しかし、難解な映画である。一度見ただけでは分からなかったので、飛ばし飛ばしではあるが、もう一度見てしまった。衰えつつある地球を離れて、人類が新たなるフロンティアを目指す物語であるが、科学用語満載で、最新科学が紹介されている一方で、かなりファンタジー部分もある映画である。

 地球の環境が変化して砂嵐が吹き荒れ、農作物が収穫出来ないので食糧難に直面している近未来が描かれている。考えて見ると地球の環境が人類にとって極めてマッチしていることは奇跡である。地球温暖化と騒いでいてもたかだか1,2℃平均気温が上がっているだけである。それであっても、我々の生存可能範囲は狭まり、生存が脅かされる。しかし、その程度の変化は地球から考えて見れば、微熱程度であろう。我々は砂上の楼閣の上でかろうじて生きているに過ぎないということが、この映画を見るとよく分かる。

 さて、地球脱出計画であるが、ラザロ計画と呼ばれていた。聖書でイエスによって、死から蘇った人物だ。まず、人類生存に適する惑星を探すために12人の科学者がそれぞれ探査に向かった(これは12人の使徒と絡めているのだろう。)そして、いくつかの惑星が候補として選ばれた、最終候補地を選ぶために主人公達がそこへ向かうことになった。ここで二つのプランがあった。ここら辺が分かりにくいのだが、プランAは人類移住計画である。そのために必要なのは巨大な宇宙ステーションであるが、重力コントロールシステムが必要となる。だが、その解明がまだ出来ておらず、主人公が戻ってくるまでに解明される予定だった。そして、プランBは受精卵を大量にその惑星に送り込み育てていくプランである。

  この映画にはキリスト教の影響を受けたと考えられる部分がある。その一つは、作中で繰り返されるディラン・トマスの詩の一節である。

   あの快い夜のなかへおとなしく流されてはいけない
  老齢は日暮れに 燃えさかり荒れ狂うべきだ
  死に絶えゆく光に向かって 憤怒せよ 憤怒せよ

 滅び行く地球とともに人類の滅亡に向かっておとなしく流されてはいけない。   運命に抗え!諦めるな!

 おそらくそういった気持ちを表すために繰り返し使われているのだろう。訳の分からないワームホールに突入して、新たな移住地を求めるなどというとんでもない計画は実行に移されなかっただろう。危険を顧みず人類をあるいは家族を救うために、冒険に向かう。12人の使徒たちが迫害を受けながら人類の救済のために、新たな世界を旅して行く姿と重なる。しかし、使徒の一人であるマン博士は孤独に耐えきれず、ウソのデータを送り主人公達を呼び寄せる。このへんの人間的な弱さを描いていることも単に勇者(=聖人)として祭り上げていなくていい。

 また、ラザロ計画の立案者であるブラント博士が死の間際に真実を告げるところもキリスト教的である。彼はとんでもない嘘をついていた。重力方程式はそもそも解明不可能なのでプランAははじめから存在しなかったわけだ。プランAのために危険を顧みず娘をおいて宇宙に飛び立った主人公にすればとんでもない裏切りだ。それを死の間際にあろうことかその娘に真実を話す。キリスト教世界では天国への門を通ることが出来るか、最後の審判で振り分けられる。だから、死の間際には懺悔をしたり、真実を話したりする場面がよく出てくる。だが、これって、真実を聞かされた人の気持ちなど全く無視している。四半世紀も立ってから、不可能なミッションのために父親と別れなければならなかったと聞かされたら立ち直れないだろう。

 そして、愛はすべてを救うという某テレビ局のキャッチフレーズのような台詞ももとはといえばキリスト教的である。ブラックホールに入ってしまった主人公は愛の力で時空を超越して、旅立つ前の我が家に幽霊?として戻ってくる。物語の冒頭部分のポルターガイスト現象という伏線が2時間後に回収されていくこの場面は「してやられた」感が強い。タイムリープ関係の物語ではよくあるパターンなのに、全く想像もつかなかった。そして、今度は幽霊として、成人した娘に重力方程式解明のためのデータを腕時計の秒針を動かすモールス信号で伝えていく。しばらくすると、主人公はひょっこり土星周辺で回収される。もう、愛さえあれば何でも出来る状態である。最後には、娘が重力方程式を解き、宇宙ステーションを完成させる。

 これで終わったかと思うと、相対性理論で時間の流れが緩やかだった主人公は浦島太郎状態で、90才くらいになった娘の死に際に立ち会う。最後に主人公は一緒に旅立ったアメリアがいる移住候補地の惑星へと向かう。彼女の宇宙船には大量の受精卵が保管されているので、その惑星で新たな人類の歴史が始まることを予感させる。つまり、主人公とアメリアは「神」となったわけだ。

 キリスト教的な世界観を中心に映画の感想を書いてみたが、それ以外にもたくさんの見所や考えさせられる部分がある。スターウォーズのようなSFがあるかと思うと、こんな作品も作ってくる。アメリカというのは本当に懐が深い。