言い訳~関東芸人はなぜM-1で勝てないのか

 ナイツの塙さんが書いた「言い訳」が面白い。お笑いはバカでは出来ないと改めて思った。彼は現在の漫才をとてもロジカルに説得力を持って書いている。いくつか気になったところを書いておく

◎コントと漫才の違い

  マイク一本で勝負するのが漫才。小道具を使うのがコント

◎ネタの大切さ

  しっかりとしたネタは、他の人でも演じることができる。したがって、禿げネタや自虐ネタはダメ。落語を見ればわかる。漫才のネタを発明したのがタウンタウン

◎持ち時間による得手不得手

  M-1は制限時間4分の100m走。ナイツの漫才は寄席の漫才。

  M-1で勝つにはテンションの高さとスピードが必要。

M-1の本質

  新しいモノ主義。目新しい漫才が勢いで優勝する。スリムクラブがいい例。

 

 確かに現代のお笑いについて納得の説明である。だが、ひねくれ者の私が本書を読んで気になったのはまったく別の所だった。一つは何事にも運が作用するという至極当然のことだ。漫才の若手なら誰でも目指すM-1での優勝は決して実力だけでは勝ち取れない。敗者復活戦から登りつめたサンドウィッチマンのような物語性も必要だし、斬新さだけで登りつめたスリムクラブもいる。実力で決勝の8組に入ることはできるが、その中で優勝することは風をつかむことが必要なのだ。

 これは、会社などにおいてもなりたつ。仕事が出来る奴が必ずしも出世しているわけではない。悲しいかなそうでない場合がほとんどである。目の粗いふるいにかけられた人々のなかで勝ち上がっていく人は、風をつかんだ人だ。意図して風を起こし、風をつかむことは出来ない。そういった意味では運と言ってもいい。まあ、万年ヒラの私の「言い訳」だが・・・

 そして、もう一つは笑いのフォーメーションについてだ。ボケとつっこみでは従来はボケがウケを狙う。人々は考えられないようなボケに思わず笑ってしまうのだ。従って、つっこみは単に「あほか」とか言っておけば良かった。旧世代の浜ちゃんや爆笑問題の田中さんなどはその典型だ。最近ではつっこみが一ひねりすることでウケを狙うパターンがあるそうだ。新世代の霜降りの粗品あたりだ。塙さんはウケをねらうポイントをボールに例えている。つまり、ウケを狙えるボールが転がってきたときにそれをしっかりと笑いに消化するのがどちらかと言うことだ。

 お笑い番組ではそのボールのパス回しがあり、それぞれの芸人には与えられたポジションがあるようだ。松ちゃんがいる場合には、他の人がボールを回して最後に松ちゃんに渡して、ゴールする。つまり、他の芸人はボール回しの技術の高さを求められるのだ。だから、そのパス回しを理解できていない芸能人(泉ピン子あたり)がせっかくのボールを回さずに、自分でシュートしてゴールを外すととんでもないことになる。

 このお笑い番組の例えはとても分かりやすかった。そして、私自身の立ち位置を知るいい機会になった。私は1対1がとても苦手だし、笑いをとることもない。ものぐさで、ボールを待っているタイプなので、大勢で話しが盛り上がっているところで、一言で笑いをとる。(まあ、滑ることも多々あるが・・・)この本を読んで、自分がフォワードにいてボールを待っているだけだったことに気づいた。誰も都合良く私にボールを回してはくれない。自分でボールを運んでいくMFの技術を磨く必要があると感じた。別にお笑いを目指しているわけではないが・・・