白い衝動 

 「白い衝動」という小説を読んだ。殺人衝動に駆られた少年と、かつて同じような衝動を持っていたスクールカウンセラーという二人の前に、残忍な性犯罪者が出所してくるという話だが、少し冗長であった。しかし、多くの会話を通して、登場人物の人物象を浮き上がらせる手法は成功しているし、テレビドラマになると面白いかも知れない。こういった心の内面を暴いていくという物語は、読んでいる自分自身でさえ気づいていない自らの内面をえぐり出してしまいそうで怖くもある。

 だが、この本のストーリよりも興味深かったのは、心についてのとらえ方である。作中で頻繁に心理分析を通して心の有り様が語られる。

 「心は自由だなんて、思い上がりもいいところだ。」

 この台詞は重い。我々は「気の持ちようだよ」とか「前向きに考えなければ」などと安易に使うことがある。しかし、心は自分ではコントロール出来ない。何かをしたいという積極的な心も、反対に何もしたくないという消極的な心にも、なんら有効に作用する手立てを持たない。もっと言うならば、LGBTの人々は自由に心が変えられないからこそ、この窮屈な世界で、生きていかなければならない。

 「人間と動物の違いは何?」

 「理性ですか?」

 「私は、矛盾だと思う。花の美しさに感動しながら、それを摘む。好きな子に意地悪をする。見ず知らずの誰かを助ける。そういうのは損得だけじゃ説明がつかない。」

 我々はたくさんの矛盾し合った衝動を持っていて、それを矛盾したまま抱えて生きている。文字通りのcomplexな状態である。そして、そういった矛盾した衝動が時として他者からは理解しがたい行動をとらせる。Aという衝動が突然現れたかと思うと、ある瞬間にはBという衝動が現れる。人は矛盾を内包しているという作者の考えには共感が出来る。理屈ではないんだよなあ。