シンウルトラマン ネタばれ

 「人類はウルトラマンが自分の命を賭すほどの存在なのだろうか?」

映画を見て真っ先に考えたことがそれだった。

 

 昭和の頃、私も他の多くの少年達と同じように、ウルトラマンシリーズを欠かさず見ていた。そして、ニセウルトラマンの登場の時には、ブラウン管に向かって「偽物だよ!違うよ!」と叫び、セブンが磔にされたときには、次週までそのことで頭がいっぱいだった。また、仮面ライダーシリーズも同じように夢中で見ていた。その頃はただただヒーローに憧れ、怪獣や怪人を憎んでいただけだった。

 しかし、大人になってから改めてウルトラマンについて考えてみると、そんなに無邪気に考えることが出来ない。仮面ライダーはそもそも改造人間なので人類側ではあるが(そうはいっても、からだを張って世界平和に尽くすことは次元が違うが・・・)ウルトラマンは光の国から来た、人類とは縁もゆかりもない存在なのだ。そんな彼が、自分を犠牲にしてまで人類を救おうとしているのだ。そんな価値が我々に本当にあるのだろうか?

 映画では、ウルトラマンが登場してから大きく3つの話が展開される。上映時間が2時間なので詰め込みすぎで、総集編のような印象を受けてしまうのが残念である。一つ一つの話を丁寧に掘り下げていけば、映画3本分くらいにはなってしまうだろう。しかし、興行的にはこれが正解と言えよう。よほどのマニアでない限り、ウルトラマン3部作を映画館で見ようとはしないからだ。

 第一部ではザラブ星人が登場する。彼は禍特対本部に侵入し、停電とともに大規模な電子機器システム障害を発生させ、電子データを自由に操る高度な科学力を見せつけて、日本との友好条約(不平等条約)を迫る。しかし、条約締結を契機に国家同士を争わせて人類を殲滅させるという陰謀があった。

 第二部ではメフィラス星人が登場する。生体を巨大化させる原理の仕組みであるベーターボックスを使い、浅見弘子(長澤まさみ)を巨大化させる。そして、ベータシステムを使って、「人類の巨大化による外星人からの自衛計画」を提案する。しかし、彼の本当の目的は、人類がベーターシステムによって巨大化し兵器に転用できる有効資源だと知り、地球を他の生命体に荒らされる前に独占管理することだった。そして、人類は知恵でも暴力でも、無条件に外星人に従うしかないことを分からせるために、禍威獣を登場させ、ウルトラマンを誘い出したのだった。

 第三部ではゾフィーが登場する。人類が巨大化して兵器に転用できることを図らずも明らかにしてしまったウルトラマンを光の国へ召喚し、危険因子となってしまった人類を消滅させるために最終兵器ゼットンを使用する。

 映画では、この話のそこかしこに人間の愚かさを描いている。禍特対が見事な官僚組織に組み込まれていて自由な活動ができない様子、ザラブ星人との条約締結に向けての国内の政治権力闘争、ベータシステムをいち早く手に入れることで世界におけるプレゼンスを高めることに必死な政治家。庵野さんの政治への不信感や嫌悪感が如実に表れているが、現実もそれほどかけ離れたものではないだろう。一方で、この映画では人間の良さがほとんど描かれていない。あえて言うならば、冒頭で斎藤工が少年を身を挺して救ったところだけだ。

 ウルトラマンが地球に留まることを決意したときにゾフィーに、「人類はまだ幼い。その成長を見守っていきたい」と語っている。しかし、僕たちは成長しているのだろうか?相変わらず国土を拡大しようと戦争を仕掛けている国、まるで、ウルトラマンが来てくれると信じているかのように自国の自衛手段を考えない国。そんな国々のなかで、ただただ自分のことしか考えていない人々。

 「ウルトラマン、僕たちはあなたが期待するように成長していますか?」