1ミリの後悔もない、はずがない。
後悔だらけの中年男にとっては、「1ミリの後悔もない、はずがない」という言葉さえ新鮮だった。1ミリどころか1メートルくらいの後悔を抱えて生きているので・・・。「あのとき、あんな事を言わなければ・・・」
「あそこで、頼んでいたら・・・」
「もっと、気持ちを理解していれば・・・」
数え上げたらきりがない。
後悔の無い人間などいるはずが無い、しかし、今思うと、後悔の積み重ねが、現在の自分を形作っている。あの後悔があったからこそ、次の道へ進めたこともあったし、あの後悔があったからこそ、性格がねじ曲がってしまったんだろう。したがって、逆に言うと「あのときこうしていれば」が現実に起こっていたら、現在の自分は存在しないはずだ。いわゆるタイムパラドックスの状態だ。
本作は、思春期に思いを寄せていた人を大人になって思い出す物語だ。ちょっぴり甘酸っぱい青春小説ではあるが、個人のモノローグという形なので、心理描写や人物造形が少し足りない気がする。なぜお互いに惹かれ合ったのか、どんな想いで行動しているのかは読者に委ねられている。モノローグでいちいち説明的な台詞を言うわけがないのでそれはとても当然だ。また、そのことがかえってこの物語の一つ一つを読者が自分の経験と重ね合わせる効果もあると思う。
私自身も高校時代に好きだった女の子のことは今でもときどき思い出す。主人公のように母子家庭で、各地を転々としたなどというハードな人生を送っていたわけでは無いが、たまに、彼女の家の近くを車で通るときなどはあの頃のことが鮮明に蘇る。楽しい思い出より、苦しかった思い出の方が多いが、「今どうしているのかな」、なんて柄にも無く考える。
ところで、本作で気になったことは、今の子ども達が学校でいかに孤立しないで生きることに労力を使っているかということだ。たいして気の合うわけでも無いのに、一人にならないように友達(?)と話を合わせていたり、そうかと思うと、今まで仲良くしていたのに、急にスクールカーストの底辺に突き落とされていじめを受ける子どもが登場する。子ども達にとって学校という社会で生き抜くことは苛烈きわまりないものだとつくづく思う。大人になってしまうと、別に一人で昼食を食べていても気にならないし、いつも友達とつるんでいなくてもどうと言うことはない。しかし、子ども達にとっては学校という社会がすべてなのだ。そこで、はじき出されることは社会からの離脱をいみする。そんな生きづらい世界を生き抜くことに日々奮闘している今の子ども達に心から同情する。