罪の声 ネタバレ

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 実際にあったグリコ森永事件をモチーフに過去の事件に翻弄される2人の男の姿を描く、塩田武士のミステリー小説「罪の声」の映画化である。事件で使われた犯行グループの脅迫テープは3人の子どもの声を使用していたが、京都でテーラーを営む曽根俊也は、父の遺品のカセットテープに録音されていた自分の声が、30年以上前に複数の企業を脅迫して日本中を震撼させた、あの事件の脅迫テープの声と同じだと気付く・・・

 まずは謎の多いグリコ森永事件を子どもの声で吹き込まれた脅迫テープからひも解いて全体像を明らかにしていく著者の想像力と構成力に脱帽する。劇場型犯罪のハシリと言われ、結局金銭の授受がなかったと言われているが、株の空売りによって利益を得ていたという筋立ても面白い。そして、35年前の未解決事件の謎が次々と解明されていくことには少し出来すぎの感じがしないでもないが、キツネ目の男の正体がわかった場面は身震いがした。
 だが、本当に伝えたかったのは「罪の声」を背負わされた3人の子供たちの人生だろう。マル暴の刑事だったが、汚職でクビになった、実行犯の一人である生島の二人の子供と犯行の計画を立案した曽根達雄の甥である俊也だ。この二家族の子供たちは全く異なる人生を歩むことになる。生島の子供達は主犯格の青木に拉致され、逃亡後もずっと青木の追跡を恐れて社会の片隅でじっと息をひそめていた。その一方で、俊也は何も知らずに平凡ながらも幸せな人生を歩んでいた。この対比が一層、生島姉弟の人生の悲惨さを色濃くしている。いまよりも児童保護という観点が薄かった当時は、このような親の不始末に人生を左右された子供たちはたくさんいたと思う。
 そして、全共闘世代が持っていた権力への反抗心もラスト近くで明らかになる。そもそも俊也に脅迫テープを吹き込ませたのは母親だ。現代的な視点で見るとこの母親の行動は理解できない。しかし、学生運動の残り火を少しだけ見てきた私にはなんとなく理解できる気がする。強大な権力のもとで国民を束縛し、同士達を傷つけた国家の手先である警察に一矢報いたいという気持ちが、子どもの将来への一抹の不安に勝ったということだろう。そして、そのテープは戦利品としてずっとしまわれていたのだと思う。
 人間の思考回路は何十年経とうともそうは変わらない。全共闘を戦った人間はいつまでたってもその想いはそれほど変わらないし、ヒッピー文化にかぶれた人々は心の片隅にいつまでのその想いは残っているはずだ。そして、時代が変わり、その考えが時代遅れになった時に、自分は変わらず、若いつもりでいるのだが、まわりの人間から考え方が古い年寄り扱いされるのだ。たぶん年を取るというのはそういうことだ。
 野木さんの脚本で原作と大きく変わったところは、新聞記者阿久津の存在だろう。結局、劇場型犯罪を生み出したのは、読者を煽ってきたマスコミだという痛烈な批判が込められている。報道の目的とは何なのか、それを自問し続け、再び社会部へ戻ってきた阿久津にマスコミへの期待と願望を寄せている。しかし、残念ながら彼女の願いは未だにかなっていない。民衆の恐怖心や好奇心をことさら煽り立てて、ときには面白おかしく、ときには脅かしながら、視聴率や販売部数と言った数字ばかりを追っているからだ。昨今の新型コロナ狂騒曲などがその最たるものだろう。だからこそ、巨悪とマスコミに対する怒りは野木さんの作品に通底しているのだろう。