Rain SEKAINOOWARI

Were all the year

one constant sunshine,

We should have no flowers.

                                       17世紀英国の詩人、ヘンリー・ヴォーン

                   今日の朝日新聞 「折々のうた」より

 

 朝日新聞の政治スタンスは基本的に好きではないが、文化面では大いに参考になる。まあ、知ったかぶりが多少、鼻につくがそれを差し引いてもいいことが書いてある。

 今日のヘンリーヴォーンのしであるが、一読して意味が分からなかった。これは要するに、仮定法の Ifを省略した形である。文法でやったが、さっと出てこなかったので確認した。省略しないで普通の形に直すと

 If all the year were one constant sunshine, we should have no flowers.

となる。「もし一年中ずっと晴れていたら、花は咲かないだろう」という意味だ。

 洒落ている。なにか素晴らしいものを手に入れるには、大変なこともある。楽しく会的に過ごしているだけでは、何も手にいれることが出来ない。SEKAI NO OWARIのRAINの歌詞に「虹が架かる空には雨が降ってたんだ。虹はいずれ消えるけど雨は草木を育ててくんだ。」という部分がある。これは同じ文脈で語られている。個人的にはSEKAI NO OWARIの歌詞の方が詩的で好みだが、ひょっとしたらこの大御所の詩人の作品にインスピレーションをもらったのかも知れない。

 いつもいいことばかりではない。時には辛く悲しいこともあるのが人生だ。どうして自分だけがこんな目に遭うんだ。どうしてこんなについてないんだ。そうやって自己憐憫に浸ってしまうのもよく分かる。しかし、そんな風に嘆いていても何も変わらないし、誰も助けてくれはしない。全部わかったような顔して勝手にひねくれて、社会が悪い、人生が面白くないなんて言っても仕方が無い。人生が上手くいかないのは、自分のせいだ。

 だからそんなときは、きれいな虹を見る前には雨に降られなければならないって考えるべき何だ。やまない雨はない、そして、やんだときには虹を見ることが出来るって考えれば、少しは現状に対して前向きになれるのではないだろうか?

 現在の私も永らく雨が降ったりやんだりしている。虹を見たり、花を見るにはあと5,6年くらいかかる気がする。自分のキャリアを考えるとあまり明るい気持ちにはなれない。しかし、雨の合間に時折、晴れ間を見ることが出来る。それが人生ってものかなとちょっと自分を慰めている。虹が架かる空には雨が降ってたんだ。僕はそう信じていきたい。