ポリコレの正体 福田ますみ

 著者の福田ますみさんの名前は知らなかったが、福岡の「殺人教師」事件や「長野・丸子実業高校」の報道が、実際はモンスターペアレントの言い分をうのみにしたでっちあげだったことを調べ上げた記事を読んだことがあった。最近のマスメディアが事件の表層だけを過激に報道し、その報道の影響(二次被害)について全く配慮を欠いていることに怒りすら覚えているので、丹念に事件の背後を調べ上げるルポルタージュはとても印象に残っていた。
 さて、本書であるが、近年、ポリコレが行き過ぎているなあと常々感じているので、とても興味深く読んだ。ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ=ポリコレ)という正義の名のもとに、アメリカ社会を蝕んでおり、非キリスト教徒に配慮するという大義名分のもと、すでに「メリークリスマス」という言葉は奪われ、性差別への配慮として、「お父さん」「お母さん」も公式の場では使えなくなっていることには驚いた。日本でも、学校では「あだ名」をつける事さえ、一律に禁止されようとしており、「お母さん食堂」へのいちゃもんなどに代表される動きが、今後さらにエスカレートしそうである。
 はじめに、森喜朗元総理大臣の「女性がいる会議は時間がかかる」という発言で、東京オリパラ組織委員長を引きずり下ろされた事件をあげている。昨今のマスコミの傾向だが、記事がとにかく短い。ネットニュースでも長文は嫌われるので、要点だけで、しかもインパクトのある記事に意図的にしている。そうすると結局炎上しそうな部分を切り取って焚きつけることになる。森さんの話も40分の話の中で、前後の文脈も考えずにこの部分を切り取ると確かに炎上する。しかし、全体の概要をネットで見つけて読んでみると全く違った印象をもつ。そうでなくても、これだけを持って「女性蔑視だ!」「辞任しろ!」とはやり過ぎだと思う。同様に、開催式の演出担当小林賢太郎のホロコースト発言も、もう少し状況や背景を深掘りしていくと見えてくるものが変わったと思う。当事者でもなく、ユダヤ人の心情を理解しているわけでもない人々が正義を振りかざして引きずり下ろしたようにみえる。
 次にBLM問題について書かれている。ジョージ・フロイド氏が警官に取り押さえられて死亡した事件に端を発したが、もうこの流れは止めることが出来ないようだ。彼の死に関しては不幸な出来事ではあるが、その後に富の再配分を叫び略奪行為をしたBLM暴動や、28億にも上る賠償金、警察組織の解体運動など、BLM運動が社会に有益だとは思えない事象が多々ある。こういった状況を見ていると、なんとなく韓国の反日行動と共通しているきがする。BLMの背景には「制度的人種差別」や「批判的人種理論」といった不思議な考えが存在する。これはアメリカの法律を含んだ社会システム全体には、白人支配を維持する機能が存在し、黒人は常に虐げられているという考えである。これでは、白人は生まれながらに“原罪”を背負っていると言うことになる。彼らに謝罪しようが、法律を変えようが彼らの強烈な被害者意識は変わらず、白人への憎悪が続いていく。これは韓国が自分たちを占領下においた日本は“原罪”を背負っているのだから、何をやってもいいし、何千年経とうが許しはしないというスタンスに似ている。そして、表だって批判できないことも似ている。
 次に、LGBTの問題を取り扱っている。正直にいって、昨今のLGBTへの理解や配慮に関して、それほど疑問に思ったことがなかったが、本書を読んでその考えを改めた。杉田水脈論文に関わって、新潮45が廃刊に追い込まれたことは、あいかわらず過激なポリコレによる魔女狩りだが、私が気になった点は別のところだ。杉田論文を擁護する形で発表された小川栄太郎さんが、LGBTの人たちの生きづらさを配慮するなら、満員電車で手が自動的に動いてしまう痴漢も配慮すべきだろうという少し極端な比喩である。
 現在、LGBT運動は、その範疇に収まらないマイノリティにまで広がっている、ノンバイナリー、Xジェンダークィア、クエスョニングなど数多くありすぎるので、LGBTQ+などと表記されることもある。もはや、マイノリティにとって性的な対象は単に同性だけでなくなっている。そうなると、性的な衝動がお尻だけ、匂いだけ、幼児だけ、電車内の女性だけ、あるいは2次元の女性だけという場合も十分あり合える。その場合に生身の同性だけを性的な対象としている場合には、「性的指向」という定義を用い、それ以外は「性的嗜好」だという区別が果たして成り立つのか疑問を覚えた。そこに、明確に区別がつくものなのだろうか?私は当事者でないので答えは分からないが、小川氏の問題提起は興味深かった。
 一方で、性自認にかかわるトランスジェンダーの問題も一筋縄ではいかないようだ。こちらは性同一性障害という脳の機能障害(適切な表現が思い浮かばない)なので、しっかりと対応してあげればいいと思っていた。しかし、物事はそれほど単純ではないようで、思春期の一時の性の揺らぎによって性別違和を覚えることも多く、そ性自認にはゆらぎがあるそうだ。安易に性別適合手術を受けて後悔した例も多いという。また、性別適合手術を受けていない場合には、トランスジェンダーになりすました人を見分けることが出来ず、性被害や、不快な思いをさせることもあるという。
 「男女平等」「人種差別反対」「LGBTへの配慮」それだけ聞けば、誰も正面切って批判することはない。しかし、深掘りしていくと様々な問題があることが分かった。本書ではいくつかのデータをあげているが、女性社会進出ランキングで底辺をさまよっている日本において、男性より女性の方が幸福度が高いというデータ。LGBTへの配慮が足りないといわれる日本では、そもそもカトリックの影響がないので、欧米のようなLBGに対する忌避感が少なかったというデータなどがある。データは評価対象や項目によって結果が大きく変わってしまうので、鵜呑みにすることは出来ないが、少なくともそういったデータがあることも知った上で、一方的な考えを排除する必要があると感じた。