タクシー運転手 約束は海を越えて

 

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 いい映画とはどんな映画なのだろうか? 斬新さを基準としている人もいるだろうし、感動を基準としている人もいる。カメラワーク、演技力、意外性、テーマ、物語の展開など人によって様々だろう。もちろん、どれか一つではなく、それらの複合的なバランスによって映画の良し悪しは決まることが多い。

 しかし、本作を見たとき、「これはいい映画なのだろうか?」と疑問に思ってしまった。上記の評価基準で考えれば、それほど突出したものがないかも知れない。だが、そんな机上の理論とは関係なく、この映画には圧倒的な力があった。真実に基づいているというこの物語はそれだけで十分だった。

 私にとって80年代までの韓国は遠い国の一つに過ぎなかった。韓国だけでなく、どの国も「外国」という自分には縁の無い世界だと思っていた。今ほどグローバル化が進んでおらず、ヒトもモノもそれほど行き来が無かった時代だ。韓国で全斗歓が軍事クーデターを起こした時も、イラン革命ホメイニ師が実権を握った時と捉え方はさほど変わらなかった。そんな時代に起こった光州事件であったが、当時はそれほど深く考えることはなかった。

  光州では、学生を中心としたデモに対して、軍隊が残虐な行為をくり残虐な行為を繰り返していた。そもそも、同じ同胞に対してこれほどまでの行為ができることが驚きだ。しかし、命令に従っていればよいという状態は責任や罪悪感から解放される。そして、多数の人間が同じように振る舞うことは興奮や歓喜をもたらす。そこに何らかの悪者(ここでは社会不安をもたらし、体制を脅かすデモ行為をする民間人)が設定され、自分たちは彼らを罰する正義の側であるという意味づけがなされた場合、集団行動は歯止めを失って暴走し、悪者に襲いかかりがちである。この行動パターンはナチスドイツのユダヤ人への好意に通づるものがある。

 このような状況で報道が規制されて、真実が表に出てこないことは空恐ろしい。天安門事件を引き合いに出すまでもなく、このような報道規制によって一般の人々は何も知らずに生活を続けている。そして、自分だけが、その真実を知るものだったとしたら、どんな行動を取るだろうか? この映画では1人の平凡なタクシー運転手がそのような状況下で自らの行動パターンを次第に変えていく様が上手に描かれている。

 それにしても、主役のソンガンホが素晴らしい。それほど教養も高くなく、社会への関心も薄い市井の人、しかも能天気で憎めない人間を上手に演じている。その彼が、講習へ行って事件を目撃してから、次第に変わっていく様はお見事だ。特に、1人で逃げ出してきて、食堂で光州での出来事について、新聞報道を鵜呑みにしている人々の会話を言いているシーンがいい。「そうじゃない!真実はこうなんだ!でも、俺にどうしろというんだ!」という心の叫びがよくわかる。

 もちろん映画なので脚色されている部分もある。真実ではタクシー運転手は英語が堪能なホテル専属のインテリだったらしい。普通の町のタクシー運転手に変えることで、ドラマ性が増したことは確かだ。しかし、それによって光州事件でのありようが変わることはない。

 わずか40年前にこのような悲劇を経験した韓国、そして、70年前には南北に分かれて戦った韓国。それが、80年前の日本統治だけに異常に固執するのはよくわからない。しかし、彼らには彼らの歴史があり、彼らの文脈の中にしかその理由は見つけることができない。