ぼくはイエローで、ホワイトでちょっとブルー

 話題作を読んでみました。日本とアイルランドのハーフである少年を通して、イギリスの教育や社会を考えている、とても興味深い作品だ。少しだけケチをつけるとするならば、この少年がちょっと出来すぎているというか老成しているというところです。正直に言って、「こんな出木杉君いるか~?」という感じでしょうか。大人顔負けの、珠玉の言葉を述べていきます。そして、この出来すぎた息子との会話がなかなかハイレベルです。こんな深い会話を親子でするなんて考えられないくらいです。

 さて、くさすのもこれくらいにして、内容について考えていきます。移民を大量に受け入れてきたイギリスも大変だなあというのが率直な感想です。「多様性はないほうが楽。でも楽ばかりしていると無知になる」おっしゃる通りです。様々なバックグラウンドを持った人が一緒に生活するというのは大変なことなんだとつくづく感じます。常にポリティカルコレクトネスを意識しなければならないなんて、窮屈すぎます。極端なことをいうと、多様性によるプラスの側面よりもその摩擦を防ぐためのエネルギーのほうが大きいのではないのかと思うこともあります。

 昔のようにある程度均一なバックグラウンドを持つ集団が独自の文化を形成し、その文化同士がぶつかり合うことで新たな文化が想像されるような世界のほうが良いのではないかとも思います。もっとも、ぶつかり合いすぎて戦争に発展してしまう可能性も否定できませんが。

 しかしそんなことを考えていても歴史は逆回転しません。グローバリゼーションは全世界に感染病のように(時節柄不穏当な比喩ですが)広がっていきます。日本でも多様性というプレッシャーがひたひたと迫ってきています。日本人でお避けて通れない。できれば避けたいが、無理だろうし、摩擦は絶えないだろう。だが、直視せざるを得ない現実だ。

 さて、そこで多様性を考えるうえで大切なことが書かれている。それをまとめてみると「他人の靴を履いてみる」ということに尽きるようだ。エンパシーという言葉でせつめいしているが、「自分がその立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」だそうだ。似た言葉であるシンパシーは単に相手の感情や行為を理解する共感性であるのと違うらしい。マッチ売りの少女を見て「ああ、かわいそうな少女ね」というのがシンパシーであり、最後のマッチを擦り終えたとき自分が彼女だったらどんな気持ちだっただろうかと考えるのがエンパシーだろうか。相手の立場でものを考えるという一段上の能力である。

 話は変わるが、イギリスの教育制度についてもたくさんの情報が詰まっていた。入学い行うミュージカルやシチズンシップ教育、LGBTQ教育などなど日本と随分違っていることに気づく。だが、別にイギリスの教育を礼賛しているわけではない。怖いのがこういった本を読んだり、聞きかじったりした「有識者」「知識人」がマスメディアで日本の教育はダメだとか言わないかどうかである。

 個人的には日本の教育は世界的に見てもよいほうだと思う。PISAのテストで常に上位に食い込んでいるわけで、イギリスがランキングに入っていることはないと思う。もちろん、一つの指標に過ぎないが、単純にイギリスの教育素晴らしい!という誤った感想を持たないように願いたい。