ジャッジ 裁かれる判事 ネタバレ

 

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 有能な弁護士だが真偽よりも勝利にこだわり、金持ちを強引に無罪
することで知られるハンク・パルマー。父のジョセフ・パルマーは世間から信頼を集める判事だったが、そんな父が苦手なハンクは、長らく父と絶縁状態にあった。しかし、ある時、ジョセフが殺人事件の容疑者として逮捕されるという事件が起こり、ハンクが弁護人を務めることに。正義の人である父が殺人を犯すはずがないと信じるハンクだったが、調査が進むにつれて疑わしき証拠が次々と浮上する。(映画.comより)

 以前にも書いたが、アメリカでは父親と息子という関係性を描いた作品が多い。愛情、尊敬、嫉妬、憎悪など様々な感情がモザイクのように絡み合っている脆弱な関係性を描いている。私の勝手な解釈だが、これはアメリカという国の成り立ちが影響しているのではないかと思う。アメリカ建国時から西部開拓時代にいたるまで厳しい環境やネイティブアメリカンとの闘いの中で、生き抜いていかなければならなかった。そして、広大な土地のなかで人々は家族というもっとも小さな世界で暮らしていた。(大草原の小さな家のイメージですね)その中で、父親は一家を支え、守っていくために強く、若々しく、たくましくなければならず、決して弱いところを見せることはできなかった。現代でもそのイメージは変わらず、例えばアメリカの大統領に対してはこのイメージが明らかに求められている。黒人の大統領が生まれても、女性の大統領がいまだにいないのはこの辺も関係しているのではないかと邪推している。

 話がだいぶ逸れてしまったが、父子の関係性に話を戻すと、やがて父親になる息子にとっては、父親は目指す目標でもあり尊敬の対象であるとともに、いつかは追い越さなければならないライバルでもある。一方の父親にとっては、たくさんの愛情を注ぐべき子供であるとともに、やがて自分と同じ役割を果たさなければならない弟子なので、厳しく育てなければならない。例えるならば、アメリカの父子はみんな相撲部屋や歌舞伎の親子みたいなものなのだ。したがって、とても微妙な関係にならざるを得ない訳だ。

 さて、映画に戻ると、ハンクとジョセフはそんな微妙な関係をこじらせつづけた親子である。父親は厳格な判事で、頑固な父親ではあり、息子への愛情や自分の弱さを表に出すことができない。一方、息子も父親を敬遠しながらも、認めてもらいたい、愛されたいという思いをなかなか表に出すことができない。そして、ここまでこじれてしまった理由が、映画を通して少しずつ分かってくる。しかし、肝心なところがわからない。

 そして、この映画の素晴らしいところは、法廷という場所を舞台にすることで、初めてこの親子の確執とひき逃げ事故の本質が明らかにされるところだ。素直になれず、弱さを見せることができない父親は、証言台に立ったことで、真実を、思いのたけを語ることができたのだ。その真実とは、ドラッグでハイになり、自動車事故を起こし将来有望だった兄の野球人生を台無しにしてしまった息子に対して、必要以上に厳格な処罰を下した。その負い目から息子と同じ年の犯人に、息子を重ね合わせて判断を誤り、大甘の処罰をし、結果的に殺人を誘発してしまったこと。そして、さらにその負い目から、今度は息子に犯人を重ね合わせて、つらく当たってしまっていたこと。

 証言台での父親の告白のシーンは本当に素晴らしかった。この映画はひき逃げ犯人を見つける推理劇でもなく、法廷劇でもない。「裁かれる判事」は息子への想いを裁かれていたのだ。