生贄探し まとめ

 他人が失敗したり、不幸に陥ったりしたときに、思わず湧きあがってしまう喜びの感情を残念ながら人間は持っている。これをドイツ語由来の学術用語でシャーデンロイデという。「シャーデン(損害)」+「フロイデ(喜び)」で、他人の損害を喜ぶ感情を指す。このシャーデンフロイデが集団内で発生した時に、異質な他人を排除する方向に働く。古くは魔女狩りが挙げられ、いじめや有名人が不祥事を起こしたときにどん底まで突き落とすことも、この感情が少なからず影響を与えている。


 人間の脳というのは、基本的には人間同士を近くにいさせたがるように作られている。そのことで助け合いをしやすくする、つまり互恵関係を気づきやすいように仕向けられている。しかし、その一方で近づきすぎると今度は気付付けあうようにもセットされている。そういうジレンマが人間には内包されている。この複雑な仕組みは複雑に変化する環境に適応するために、相反するような志向や価値判断の基準を同時にいくつも持つことができるよう脳を発達させたからである。

 日本人は親切であり、まじめで協調性があるとよく言われるが、実はこれは手放しでは喜べない。日本には古くから「出る杭は打たれる」ということわざがあるように、共同体の中で生き抜いていくためには、人から(あるいは世間から)後ろ指をさされないようにすることが必須だったからだ。そして、残念ながらこの特徴は日本という地理的に隔絶された風土での自然淘汰の中で、遺伝的な形質を勝ち取ったようだ。この特徴は「スパイト行動」と呼ばれ、相手の得を許さないというふるまいのことだ。もっと言えば、「自分が損してでも他人を貶め
たいという嫌がらせ行動」である。要するに、日本人は他人が得するのを許せない、そして、意地でも他人の足を引っ張りたいと考えている。
 他人が得をするのを許せないことが、どちらも得をするWin-winの関係を阻害している。そして、「私が損しているのだから、お前も損をしろ」というlose-loseの関係を誘発してしまう。足を引っ張りあい、誰の得も許さない。抜け駆けする奴は寄ってたかって袋だたきにする。
 このような国民性の中ではイノベーションはなかなか起こりにくい。何か始めようとしても、些末な不具合を見つけては責任追及ばかりに終始する。ネガティブな側面だけがクローズアップされて、規制のオンパレード。これでは、新しいことを始めるインセンティブがない。


 昨今のSNSによる炎上もこれと同じような精神状態である。目立つやつを見つけて、生贄として「正義」という名の下で血祭りにあげる。正義なんて10人いれば10人とも違うのに、自分の正義こそが唯一絶対と信じて疑わない。恐ろしい世界だ。自分と分かち合えない意見や思想とぶつかったら、まずはそれを興味深く、面白い現象として受け入れてみればいい。相手の正義を打ち負かそうなどと思っていたら、いつまでたっても争いばかりで何の進展もない。もっと人の意見にゆったりと構える必要がある。