ザリガニの鳴くところ ネタバレ

 

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ノース・カロライナ州の湿地で男の死体が発見された。人々は「湿
地の少女」に疑いの目を向ける。6歳で家族に見捨てられたときから、カイアは湿地の小屋でたったひとり生きなければならなかった。読み書きを教えてくれた少年テイトに恋心を抱くが、彼は大学進学のため彼女のもとを去ってゆく。以来、村の人々に「湿地の少女」と呼ばれ蔑まれながらも、彼女は生き物が自然のままに生きる「ザリガニの鳴くところ」へと思いをはせて静かに暮らしていた。しかしあるとき、村の裕福な青年チェイスが彼女に近づく…みずみずしい自然に抱かれて生きる少女の成長と不審死事件が絡み合い、思いもよらぬ結末へと物語が動き出す。

  この小説全体を通して描いているのは、一人の女性の成長物語である。いや、成長などという生易しい言葉はふさわしくない。6歳で家族にもコミュニティにも見捨てられた少女が人間として生き抜いていった物語である。
わずか6歳の少女が人として生きていくことは大変である。一歩間違えれば、オオカミに育てられたというオオカミ少女のようになっていただろう。もちろん、それはそれで、母オオカミの愛情を受けて幸せなのかもしれない。逆に、人間らしく生きていくには多くの障害をクリアしていかなければならないので、さらに大変かもしれない。
  マズローの欲求段階というのがあるが、人間が成長していくにはいくつかの段階を経なければならない。「湿地の少女」は自らの努力と数少ない支援者によって、その段階を一歩一歩進んでいった。まず、第一段階として、食べ物の確保が必要だったが、黒人の燃料屋であるジャンピンがやさしく手助けしてくれる。当時のノース・カロライナは黒人差別があたりまえの社会であったが、ジャンピンは同じように蔑まれている少女に同情する気持ちもあっただろうが、何の偏見も持っていない白人の少女であるカイヤとのやりとりはとても温かく感じる。
  次に、第二段階として教養が必要だ。人は考える葦であって、そのためには文字を覚え、他者の考えや感情を知らなければならない。そのとき現れるのがテイトである。文字を覚えたことで、様々な詩に触れることができ、湿地の生態系についても学ぶことができるようになった。 
  そして、第三段階の愛の欲求もテイトによって叶いそうになるが、若いテイトはその愛情を受け入れることができなかった。そのために、カイヤはチャラいチェイスへと想いを寄せていくことになる。これが悲劇の始まりになるわけだが、誰かに想いを寄せることは人として当たり前の感情であるので、このどうしようもない男のまやかしの優しさに溺れてしまったカイヤを批難することはできない。
  それから、社会的な承認欲求が満たされることになる。ここでもテイトが支援し、彼女が調べ上げた湿地の生態系についての本が出版され、彼女は生物学者としてそれなりの社会的認知を受けることになる。そしてついに、テイトとの幸せな日々を迎え、愛情と所属の欲求を満たされることになるのだが、チェイスによってその安寧な日々が脅かされようとしたときに、彼女は生きていくために大きな選択をするわけだ。自ら生き抜いてきたカイヤはこれからも安心して生きていくために殺人を犯す。これは彼女が生きていく上で不可避のことだった。
  世の中は人も制度もすべて不完全だ。前向きに逃げずにたくましく自分が幸せになるようにどうやって生きていけばいいのか。彼女は考えに考えて、そして選択した。そのことを誰も批難することはできない。彼女のこのサバイバルストーリーは生きることの意味をわれわれ読者に投げかけている。そして、そこにはいつもテイトがいた。だから、この物語はテイトとの愛の物語といっても良いかも知れない。