安倍首相退陣に寄せて

 安倍首相が病気を理由に退陣したが、歴代最長の在職日数とは対照的に、これほどマスコミにたたかれた首相もいなかっただろう。彼の首相としての功罪を今日の新聞で各紙が取り扱っていたが、あまりフェアな取り扱いとはいえなかった。まあ、最後まで嫌われていることがよく分かる内容だった。
 では、実際に彼が行ったことをいくつか私なりに検証してみたい。まず、真っ先にいえることは、「アベノミクス」の成功である。民主党政権で一万円を切った株価は現在2万円を超えて、失業率は2%台、求人倍率も1倍を超えている。マスコミは世界経済の回復のタイミングと合っていただけで、運が良かったという論調もあるが、それを言ったらすべてのことは運となってしまう。彼の仕事で良かったことは環境のせいにして、悪かったことは彼のせいにするというスタンスはフェアではない。
 負の部分であげられているのは、官僚の人事権を握ったことにより、まわりが忖度して、すべてが官邸主導になってしまったことだ。縦割り行政が良くないと言うことで、幹部レベルの官僚の人事権を握ったのは前の政権の時だったはずだ。人事権を握れば、権力が集中することなど自明であり、それでも官僚中心のあり方を止めたかったのではなかったか。あちらを立てれば、こちらが立たず。すべてうまくいくようなシステムはない。
 私が負の部分としてあげたいのは、一連の教育改革である。下村博文が文科省大臣だったときが最悪であり、教育を語る資格がないもの達が教育に口を挟んでぐちゃぐちゃにしてしまった。記述テストの導入や、民間の英語検定試験の利用に限らず、やっていることが無茶苦茶で学校制度を崩壊させた罪は重い。また、ロシアとの思わせぶりな北方領土交渉も何だったのか分からない。
 だが、マスコミがこぞって悪口を言う中で、拉致被害者の人々はかなり温かい言葉を安倍さんにかけているのが印象的だ。拉致問題は全く解決の糸口さえ見えなかったが、安部さんが真摯に対応していたことの証左であろう。以前、横田めぐみさんの弟が、拉致問題なんか無いなどと言っていたマスコミが、安部さんに文句を言う資格はないというようなことを話していたが、その通りだ。おそらく、誰がやってもうまくいかなかったことを、安倍さんのせいにするのはフェアではない。
 考えてみると、安倍さんの時期はSNSが急激に広がってきた時代と重なる。誰もが自分の思いをネットで発信し、バズるとたちまち拡散する世界であり、反対に、自分とは異質な考え方はことごとく炎上させる世界でもある。しかし、ハズったり、炎上したりする内容は限られた情報ソースを元にしていることが多い。権力をたたきさえすればいいと教え込まれた新聞を筆頭とするマスコミによる偏った情報に踊らされているだけだ。検察庁法改正案などが良い例であり、本質を知らされないまま、なんとなく良くないことが行われているというミスリードによる出来事だった。そもそも検察庁が正義であり、官邸が悪であるという保証はどこにもないのだ。河合夫妻の贈収賄にしても、受け取った側は無罪放免などというでたらめが果たして正義といえるのか疑問である。新型コロナ感染症に対して必要以上に恐怖感を植え付けたのもマスコミである。
 ここまで読むと、安倍シンパかと思われるが、そういうわけでもない。まともな側近をつけることもできず、何か文句を言われると意固地になってヤジをとばしたり、小さいマスクをつけ続けたりする様は情けない。しかし、政治家なんてものはだいたいこの程度なのだ。政治家とは選挙に強い人であり、政治に長けた人ではないのだ。安部さんが100点中50点だとしたら、他の人も30点から50点というあたりで、満足するような人はいない。
 残念ながら、能力があり、魅力的で、ビジョンを持っているひとは選挙に受からない。そこが、民主政治の限界だ。情報弱者であり、選別された情報に踊らされている大衆と、能力が低いが、選挙に強みがある政治家が住んでいるのがこの国の現状だ。三浦瑠麗はこの状況を「シビリアンの戦争」の中でも憂いている。それでは、ロシアや中国のような独裁の方が物事を進めやすいのではないだろうか。民主主義は限界が見えている。しかし、その限界に頼らざるを得ないのが現状だ。民主主義はbetter(よりまし)といレベルではなく、worst (最悪)ではないというレベルなのだ。