恋は雨上がりのように

「事実は小説より奇なり」とはよく言うが、この映画は文字通り奇をてらわず、まっとうな作品に仕上がっている。ある意味で出来過ぎの感じさえするストーリー展開だ。
 高校生のあきらは、短距離選手として素晴らしい選手だったが、アキレス腱を断裂し、落ち込んでいるときに、ファミレスのさえない店長に恋をする。いかにも少女マンガに出てきそうな設定ではある。しかし、物語の構成には隙がなく、登場人物の人間関係やあきらと店長の抱える問題なども実に緻密に設定されている。現実の世界では、これほどバランスのとれた設定は考えられないだろう。
 店長は小説家になる夢を諦めきれずにいる。しかし、アパートにある原稿用紙は白紙のままで、筆が全く進まない。一方、アキレス腱を断裂したあきらは陸上を諦めきれずにいる。同じような境遇の二人が雨の日に偶然に出会い、物語は始まる。そして、二人にはそれぞれ親友である良き理解者がいる。店長にはいまや人気作家となった大学時代の同級生がいて、あきらには同じ陸上部の同級生がいる。そして、その親友になんとなく引け目を感じている様子も同じだ。二人はまるで合わせ鏡のような存在なのだ。
 あるとき、店長はあきらに言う「諦めたのなら仕方ないけど、やめてしまったなら悔いが残るんじゃないかな」それは、店長の親友がいった「未練じゃなくて、執着なんだ」という言葉が重なる。
 また、キャスティングも見事である。さえない店長には大泉洋、あきらには小松菜奈を配している。コミカルにも、そしてシリアスにも演じることができる大泉洋はまさに適役であり、たまに見せる表情が25歳下の高校生に告白される説得力を持っている。また、小松菜奈の引き締まった体はアスリートのようであり、凜とした表情は一途な高校生を演じるのにぴったりだ。
 この映画は挫折と再生の物語である。二人の関係が続く中で、少しずつ二人は前を向いて動き出すのだ。単純な恋愛映画だと思ったらそれはもったいない。これは雨上がりのように晴れやかな気持ちになる、そんな映画だ。