阿蘭陀西鶴 ネタバレ

 井原西鶴と盲目の娘おあいの物語である。初めは自分勝手な西鶴に振り回され、盲目なのに家事の一切をしているおあいが不憫で、「偉人の家族は必ずしも幸福では無いなあ」などと同情していた。しかし、「好色一代男」あたりから、父親の不器用な愛情が少しずつわかってくる。3人の子供のうち自分だけを家に残したこと。当時としては考えられないくらいに、外へ出たり、家事をしたりと自由に行動させていたこと。家に来る客人に紹介したり、話題にしたりして、決して隠そうとしなかったこと。読者はおあいと同時にそのことを知る。そして、おあいが無意識の内に嫌悪していた父親への想いが変わっていくように我々の西鶴への気持ちが変わっていく構成は絶妙である。

 物書きの真髄についても語っている。近松門左衛門との会話では「人は同じ物事での、まるで違う景色を見る。ワシはどないな悲恋でも、何処かに人の滑稽さを見てしまう。けど、あんたの目はそれを美しさと捉えるのやな。あんたの目はそれを美しさと捉えるのやな。深みにはまって滅びに向かう性を、あんたは泣きながら美しいと思う。それが響くかどうかは客が決めることや」弟子の団水に対しては、「巧みな嘘の中にこそ、真実があるのや」とこれまた名言である。スランプに陥って復活した西鶴が到達した小説の真髄であろう。

 そして、最後「世間胸算用」をモチーフにした大晦日に借金取りが立ち去るのを2人で布団に包まって待つシーンは温かくもあり、切ない。異常に痩せた娘に気づき驚く父の腕の中でおあいが心の中でいう

 「お父はん。お父はんのお陰で、私はすこぶる面白かった。多分私は親不孝な娘になってしまうのやろうけど、その時、きっとこう言える。おおきに。さよなら。」

 涙無くしては読みきれない。