歴史の教訓 失敗の本質と国家権力

 工業化は、昆虫の変態のように社会全体を激変させる。工業化に焦れば焦るほど、伝統社会を強権的に破壊し、作り直したいという衝動が出る。人のものの考え方は急激には変わらないからである。後発の工業国ほど独裁権力人寄る人工的な社会変革を求める。その途中で富が社会の上層部に遍在すると、社会全体を独裁的権力で作り直そうという強権的再配分の衝動、あるいは社会の破壊の衝動が出る。それが全体主義である。
 その全体主義に走った日独伊のうち、最初に動いたのが日本であった。1931年日本は満州事変を引き起こした。これは関東軍参謀石原による作戦である。戦術的には1万の兵力で10万の兵力を倒し、満州を奪ったので、戦術では成功したが、戦略としては失敗したと言える。『統帥権の独立』を盾にしながら、天皇を無視して勝手に行動した。
同じく、真珠湾攻撃を立案した山本五十六も戦術的には大成功をおさめたが、中立だったアメリカを連合国側に参戦させ、枢軸国側を一気に劣勢にしたので、戦略的には大失敗であった。戦闘で勝って、戦争に負けたのだ。
 昭和の軍人の虚栄心と功名心が「負けるからやれない」と言えなかっただけであり、獲得した巨額予算を使わなければならないといった気持ちもあっただろう。
負ける戦争は絶対にやってはいけない。何を犠牲にしてもやってはいけない。それは国家と国民に対する裏切りである。
歴史は繰り返す、おろかな歴史ほど。
結局のところ、ロシア(ソ連)の南下による占領を恐れて、朝鮮半島を緩衝地帯とするという明治期の戦略から、元老の力が弱まった昭和初期には、過去の成功体験に基づく虚栄心と功名心をもった軍部が統帥権の独立を盾にして、時代遅れの植民地主義という幻想を抱いて、中国大陸という底なし沼に足を突っ込んでしまったというところだ。
しかし、本書の残念なところは、これほど明治以降の日本の失敗の本質を分析しているにもかかわらず、第二部のこれからの日本の戦略になると、国際協調やら価値観外交やら抽象的な話になり、過去の失敗からの戦略としては少し寂しいのが問題である。海軍と陸軍が縦割りになっていたところや、一旦始めてしまうとよほどのことがない限りやめることができないところなど、現代にも通ずる失敗がたくさんある。こういったところの切り口がないのが残念だ。これが、歴史から学ぶことの難しさなのだろうか。