朝日新聞インタビュー

  またまた、朝日新聞ネタである。昨日の大浦信行さんインタビュー記事がおもしろかった。

 大浦信行さんの映像作品「遠近を抱えて Part2」も、作中で「天皇の肖像を焼いた」と抗議の対象になっている。天皇と表現をめぐり30年以上も格闘してきた大浦さんの目に、この国の“自由”はどう映っているのか・・・

 冒頭で上のような文書を描いているところは相変わらず朝日新聞だなあと感じるが、意外とインタビュアーは攻めていた気がする。その中でおもしろかった部分は肖像をやくという行為に対する質問の答えだ。彼に言わせると焼くのではなくこれは昇華の一つの表現だそうだ。そして、灰を足で踏み潰す行為は完全に昇華させるという意味らしい。

 こじつけもここまで来ると立派としか言い様がない。まあ、芸術というのはそういった部分もないわけではないだろう。例えば、トイレットペーパーを展示して、「体内からの排泄物を拭き取る役割を持つトイレットペーパーは、現代社会において、不要になった残骸に対する一種の罪悪感の表れである」などと難しそうなことを言ってそうで、何を言っているのかわからないという作品も多々ある。しかし、ここで重要なのは作品にそれだけの説得力があるかと言うことだ。詭弁はあくまで詭弁でしかない。作品の力でその詭弁をも真実らしくしてしまうのが真の芸術だと思う。

 しかし、彼のインタビューでおもしろかったのは、自らの作品の図録が富山の美術館によって焼却処分にされたという話を振られたときだ。彼はそのとき「まさかそんなことをするとは」というような感想を述べた。語るに落ちたとはこのことで、自分の作品が焼却されることに対して常識的な解釈をするのに、自分の焼却する作品では昇華という。まさにダブルスタンダードである。いっそのこと、美術館も「これは焼却処分ではなく、昇華させたのです」とでも言ってあげればよかった。

 しかし、もはや、あいちトリエンナーレについてはいわゆるインテリの人々が、様々な考えを披露していて、本質がさっぱり見えてこない。残念である。

大浦信行さんの映像作品「遠近を抱えて Part2」も、作中で「天皇の肖像を焼いた」と抗議の対象になっている。天皇と表現をめぐり30年以上も格闘してきた大浦さんの目に、この国の“自由”はどう映っているのか
(インタビュー)天皇は「表現の自由」か 美術家・映画監督、大浦信行さん
(インタビュー)天皇は「表現の自由」か 美術家・映画監督、大浦信行さん