天気の子

 「天気の子」を見て来た。それほどアニメを見ているわけでもなく、まして新海誠監督のファンというわけでもない。しかし、「君の名は」を見てアニメの世界の広さに驚いた。そして、この作品を超えるものは残念ながら作れないだろうと思っていた。

 そんなたいして期待もせずに「天気の子」を見たが、もちろん前作とは比較しようもないが、まずまずの出来であると感じた。予告編を見て、「新海監督の昔の得意技であるセカイ系に戻ってしまったかな?」と感じていたが、まあ、これはこれでまとまりのある話になっている。

 島国育ちの16歳の少年が東京に家出してくるところから物語は始まるが、なぜ家出をしてきたのかは明確にはされていない。しかし、漫画喫茶で読んでいる本にさりげなくサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を置いておくことで一定の説明をしているのだろう。少年は日常の息苦しさから逃れるために東京にやってきたのだ。

 そして、もう一方の主人公である女の子は、天気を操る巫女としての力を授けられる。ここら辺はかなり荒唐無稽ではあるが、異世界系やタイムリープ系が大流行の最近のアニメではそれほど無理のある設定ではないと思う。大切なのは荒唐無稽の話からいかに普遍的なテーマを語れるかである。

 さて、その普遍的なテーマであるが、今回はやはり天気と人類の関係性ではないだろうか。物語のそこかしこにちりばめられているが、環境保護主義者や地球温暖化を叫ぶ人々が聞いたら、怒りそうな話をしている。例えば、お寺のお坊さんの話で、異常気象などとない。そんなのはたかだか100年のスパンで見ているだけであり、800年という長い年月を見れば異常でもない。といった話や、最後に東京が2年間も雨が続いて水没してしまったときに、江戸時代より前にはここら辺は沼地だった。その頃に戻ったと考えれば良い。と話おばあちゃんもいた。あるいは、昔から雨乞いや、日の光を求めて、若い娘が人柱になっていたことに対して、異を唱える少年の姿もあった。

 天気とは天の気分である。そこに人は介入することは出来ない。人間にとって厄災となるような天候でさえ、人は為す術がないのだ。そのような天気を人が操作することは傲慢であり、また、操作するために人を犠牲にすることはあってはいけない。そういったことがこの映画の主題ではないだろうか。

 昨今、地球温暖化は人為的なものだという考えが大勢を占めている。こういった情勢で、古典的な宇宙観に基づいたこの作品は違和感がある。しかし、舞台を現代に移しただけの昔話としてみれば、我々日本人にとってとてもなじみやすい考え方であると思う。

 蛇足ではあるが、声優としての小栗旬のクオリティは特筆すべき物がある。そして、風景の美しさは、前作同様非常に美しかった。