ジョーカー【ネタバレ】

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 こんなにも心が苦しくなる映画があるだろうか?本作は傑作である、しかし、決して心が豊かになったり、幸せな気分になったりする映画ではない。見終わったあと、暗くなった街を一人でずっと歩いていたくなるような映画だ。

 この映画を一言で言うなら、世界の中で自分の存在理由を探し求めていた男の悲劇である。社会の底辺で生きていて、幸せな時が一つもなかった主人公アーサーに自分を重ねる人が多いのではないかと思う。しかし、彼の生い立ちから現在の状況まで、本当に何一ついいことがない。悲惨の一言に尽きる。

 脳に障害があり、笑いが止まらなくなってしまう。笑っているその悲しい顔がまた切ないが、周りからは馬鹿にされ、薄気味悪いと思われている。そして、ぼろアパートで年老いた母親をずっと介護している。母親を介護することが一つの彼の生きている理由、存在理由であったはずだ。そして、辛い現実を忘れるために彼はありもしない妄想を抱いていく。アパートの隣の女性と恋人であるという妄想や、尊敬するコメディアンに父親のような愛情をうけるという妄想。しかし、そんなささやかな生活が少しずつ壊れていく。

 母親の手紙を盗み見て、自分が地元の名士の隠し子だと知る。そのことで、父親からハグされ愛されることで、自己の存在を確かめたかったのだが、それが母親の妄想に過ぎず、逆に自分は捨て子であったこと、母親に虐待、ネグレクトをされていたことが判明してしまう。ささやかな希望が壊され、どん底に落とされたアーサーは悲しすぎる。自己の存在理由を求めていたのに、自分が何者であるかさえも分からなくなってしまったのだから。

 本作の監督が言及しているが、今作品は「タクシードライバー」に影響されている。ベトナム帰還兵である社会の底辺で生きる孤独な青年が自己の存在理由を14才の売春婦の少女を助けるという自己満足な正義感に投影していく作品だ。本作のタッチは確かに似ているが、アーサーには自己の存在理由を投影するものがない、金持ちを射殺したのも、コメディアンを射殺したのも、底辺に生きる人々の代弁者としての行動ではない。そこに救いようのない悲しみがある。

 アーサーはTVに出演したときにこう言っている

 I used to think that my life was a tragedy, but now I realize, it's a comedy.

 この言葉はチャップリンの名言が元ネタらしい。

 Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.

   「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ。」

 

 彼の人生はどこをとっても悲劇でしかない。しかし、他の人にとってはそれは笑いの対象でしかない 。笑いとは主観的なものだ。Your misery is my pleasure.なのである。彼の人生に自分の人生を重ね合わせる人でなければ、運のない人間の愚かな行為としてしか捉えられないだろう。

 彼のこの言葉は、自分の人生を諦めてしまったから出てきたのではないだろうか。投げ出してしまった自分の人生は、客観的にみるともはや喜劇でしかない。主体性を失って、まわりの底辺に生きる人々のアイコンとして生きていくことを決めたのではないだろうか?そういった意味では彼は最後までJokerにはなれず、clownのままであったのかも知れない。