パラサイト~半地下の家族

 

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 韓国映画を初めてみたが、その完成度の高さに驚いた。カンヌ映画祭パルムドールをとったこともわかる気がする。最近のパルムドールは資本主義社会の不可避な現象である格差社会に対するメッセージ性をとても重視している。「万引き家族」しかり、「ジョーカー」しかり、そして、このパラサイトも同じである。そういった意味ではこれは韓国版「万引き家族」であり、韓国版「ジョーカー」である。
 しかし、テーマの取り上げ方がそれぞれ異なっている。「ジョーカー」では社会の底辺にいる主人公が、自らの存在理由をずっと探している。貧しさから抜け出すのではなく、貧しくても、個としての尊厳を求めていく姿がかえって痛ましくもあった。そして、最終的には自らをJokerと呼ぶ人々にこたえる形で存在理由を見つけ出した。「万引き家族」では、貧しさの中で絆を求める姿が印象的であった。社会の底辺で生きる人々が寄り添い絆を深めていく中で、疑似家族という束の間の平安を得る。やがて、その疑似家族の崩壊とともに、子供たちが成長していく姿はほんの少しだけ希望を持たせてくれた。
 だが、「パラサイト」では全くとらえ方が違った。映画の初頭で描かれた、貧しいながらも4人家族で半地下に暮らしている姿は、「万引き家族」と同じように見える。ところが、彼らが金持ち家族の家に身分を偽って雇われ始めたころから少しずつ壊れていってしまう。運転手や長く住み込みで働いていた女中を貶めて追い出したときに、彼らは彼岸を超えてしまった。そして、女中から驚愕の秘密がもたらされるのだ。
 この映画で、彼らを一層みじめにしていくのは、金持ちが悪い人間ではないというところだ。韓国のドラマでは得てして金持ちは絶対悪として描かれることが多い。策略の限りを使い、人を蹴落としながら頂点に上っていき、貧しい人々を虫けら同然に扱う。そして、理不尽な仕打ちを受け続ける貧しき人々が、最後の最後で倍返しをするわけだ。いわゆる池井戸ドラマである。ところが、彼らがパラサイトした金持ちは善良な市民である。夫は懸命に働き成功を得た、そして、妻や娘は人を疑うことを知らない純真な人々だ。彼らには悪意が全くない。彼らに唯一なかったものは、貧しき人々への共感であり、彼らに対してあまりにも無知、無関心であったということだ。しかし、それを彼らに求めることは酷である。したがって、父親を殺人に駆り立てた、「くさい」という言葉を責めることはできない。そこには、貧富のもたらす超えられない壁が存在したのだ。
 また、父親が殺人を犯す伏線となる言葉も悲しい。父親は「無計画がいい」といっていた。それは計画は予期せぬ出来事によって、失敗する可能性があるからだ。初めから計画していなければ、失敗もないという理屈になる。しかしこれは行き当たりばったりを無計画として正当化しているにすぎない。この計画性のなさが、ラストの悲劇を生んでしまうのだ。父親は半地下から地下室へと居住を変えた。そして、息子は父親との再会を夢見て「金持ちになる」ことだけを目指すことになった。そこには自己の存在理由も家族の絆もなく、拝金主義の現代社会を風刺しているかのようだ。